家族なんていらない、が変わるとき
私は結婚なんてしないし、家族なんてつくらない。
子どもを産むなんて無責任なことはしない。
こう自分に言い聞かせ、親が結婚の話題を持ち出す度に「そんなのは、いらない」と言い放ち続けてきました。
家族のなかに一人でもおかしい人がいると、ほかの家族が犠牲になります。
家族の中で一人だけ気の優しい人がいると、ほかの家族がその人をめがけて攻撃してきます。
その人が反撃しないとわかると、それはどんどんエスカレートしていきます。
家族の中で決まった一人を攻撃することが当たり前になっている家族は、その一人がいないと関係が成り立ちません。その一人がいないと、自分たちが壊れてしまうから、絶対に外には漏れないようにします。逃れられないんです。
その一人は、どこかで自分が家族のバランスを保つ役割であることを自覚しているので、「じぶん」を消すことでバランスを崩さないようにし、何が起ころうと何も感じないように調整する術を身につけていくのです。
そうして、家族のバランスをとるためだけに存在してきた人が、どうして新しい家族をつくろうとか、欲しいなどと思うのでしょうか。
自分が育った家族や家庭は、何かがおかしかったと自覚すればするほど、新しい家族に迷惑をかけるのではないかと思います。
人の人生を台無しにするくらいなら、自分は一人で十分なのです。
でも、この世の中には、そういう考えもすべてひっくるめて「いいよ」と言ってくれる人が存在するみたいです。
時々、いろんなことを思い出して、仕事も生活も手につかなくなってしまったときも、「ゆっくりしてね」と言ってくれる人が存在するみたいです。
こうやって、振り返りながら書いていると、いろいろな波が押し寄せてきて、<日常>を送るどころではないのですが、そういうときも、そっと、淹れたてのコーヒーを静かに置いてくれる人も存在するみたいです。
家族って、いいものみたいです。